縁起
美江寺観音の縁起
当寺は大日山美江寺と号し、養老七年第四十四代の元正天皇の勅願によりて開創せられ、本尊は脱活乾漆十一面観世音菩薩にて、もと伊賀国名張郡伊賀寺に安置されていたものを、美濃本巣郡美江寺(現在の瑞穂市美江寺)の里に移したのである。
この地は、木曽、長良、揖斐の三大川が、あたり一帯網の目のように流れ、住民が年々悩み苦しんだのを哀れまれて、救済の御聖慮により、霊験あらたかな、この伊賀寺の本尊を尾写し遊ばされたといわれている。
伊賀寺には、寺主の切願のため後頂の三仏を残し名前も座光寺と改められた。
霊亀三年、元正天皇養老滝行幸の御事なり、この年、年号も養老と改められたが、越えて養老三年六月十八日、長屋王に勅して、美江寺の里に伽藍建立を発願され、同七年七堂伽藍が出来上がったのである。
同年八月一日、元正天皇再び行幸、漢国より来朝し、大和高市郡久米寺におられた善無畏三蔵を導師として、盛大な落慶法要が行われ、寺号も美江寺と名付けられた。
これまでの三川の氾濫もおさまり、荒れ果てた川床もみごとな清流と化したので、美しい長江の意味から美江寺の名が出たのである。
文治二年、歌聖藤原定家郷が、左衛門尉則重に命じ、寺院を再興し、船木荘六郷を寄進されたのをはじめ、元徳二年美濃の名族土岐頼貞が、斎田、落合の二郷を寄せ、永正三年、土岐美濃守成頼家臣十六条主和田佐渡守に命じて堂坊二十四院を修理せしめた。
天文十年、斉藤山城守道三が、岐阜城を築くに当たり、近郷近在の信仰高き名刹美江寺を現在の地に移し、城下の繁栄を守護せしめられた。
織田信長上洛の際、祈願文を奉納し、天文十年織田信孝、月成夫銭三千貫文を寄進し、慶長十五年徳川家康寺領十石を寄せ、天文六年には前宝鏡寺宮より大日山美江寺の扁額を賜うた。
明治二十四年には内務省から古社寺保存資金が下賜され、大正三年本尊仏が文化財として国宝に指定された。
元来この美江寺は農家特に養蚕家の信仰が篤く毎年旧暦正月元日より一ヶ月間、天下泰平、五穀成就、養蚕豊饒、商売繁盛、諸願満足の大秘法の修正会を勤修し、祈願満日の正月晦日には荘厳なる古式の祭典を行い、俗に猩々投げの美江寺祭りあるいは「かいこ」祭りと称する。(平成二十四年で終了)
古来この祭典には県下はもちろん近県の養蚕家挙って参詣し、祭礼の景物「福鈴」は、日本最古のものとしてとくに有名である。
