御開帳は4月18日

出開帳 江戸時代

美江寺の観音さま、名古屋東寺町へ
― 享保五年(1720)、千葉寺での十七日開帳 ―

名古屋市史資料には、美江寺の観音尊像が名古屋で開帳された記録が残されています。

出開帳のイラスト
出開帳のイメージ

資料には、美江寺が「濃州厚見郡今泉村」にある天台宗山門派の寺であり、大日山美江寺観昌院と称したこと、また養老年間、元正天皇の御代に開かれ、勤操和尚を開山とする由緒が記されています。

その中で特に注目されるのが、次の一節です。

此観音之尊像
享保五年ノ春
名古屋東寺町千葉寺ニテ
十七日開帳

これは、美江寺の観音尊像が享保五年(1720)の春、名古屋東寺町の千葉寺において十七日間開帳されたことを示す記録です。


名古屋市史資料


ここでいう「観音之尊像」が、本尊十一面観音そのものを指すのか、あるいはお前立を指すのかは、資料の文面だけでは断定できません。
当寺では本尊ではなく、御前立十一面観音が出開帳に赴いたのではないかと考えられています。

その理由として、お前立十一面観音像に残る「賽銭傷」です。
江戸時代には、賽銭を投げてその賽銭を観音様にあてることがご利益になるという、風習があったようです。美江寺お前立十一面観音像

お前立十一面観音像を近くでみると

美江寺お前立十一面観音拡大

小さな傷のようなものが沢山見受けられます。
これが賽銭傷です。
現在ではあまり考えられないのですが、当時の仏像に対する庶民の思いの表し方は、現在とはずいぶん違っていたのかもしれません。


名古屋東寺町の千葉寺というお寺は現在では残っていないのですが、
東寺町は、名古屋城下の町割の中で寺院を集めて形成された寺町でした。
『東寺町の成立と変遷』によれば、東寺町は名古屋開府の町割の中に意図的に寺を集めた区画であり、多くの寺院が清須とその周辺から移転してきたとされます。
また、東寺町の範囲について、北の本立寺から南の千葉寺までの寺院群として考えられることも記されています。

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