御開帳は4月18日

斎藤義龍 禁制

軍勢による略奪や乱暴を厳しく禁じ、寺の平和を守ることを約束したものです

一、甲乙人狼藉事
一、寺領押妨事
一、山林竹木伐採事
一、寺中諸役免除之事

右、条々堅く停止せしむる者也。
若し違犯の族あらば、速やかに厳科に処すべき者也。

永禄十年四月(1567)


・誰であっても乱暴すること
・寺領を横取りすること
・山林の竹木を伐ること
・寺内の諸役(課税・夫役など)を課すこと

これらを固く禁止する。
違反すれば厳罰に処す。

斎藤道三の禁制とほぼ同じ内容となっています。
親子二代にわたって美江寺の特権を認め、保護を与えていたことがわかります


斎藤義龍 禁制
斎藤義龍 禁制

『信長公記』によれば、義龍は道三討伐後に「范可はんか」と名乗ったという。
同書では范可とは昔の中国で父の頸を切ってとされた人物であり、義龍は自分の境遇と重ねこの名前を使うようになったとする。
ただし、「范可」にまつわる故事の実在は確認されていない[40]
また、義龍が「范可」を名乗るのは、実際には道三を殺す以前からである。「美江寺文書」によれば弘治元年(1555年)12月、「范可」名で同寺に禁制を出している[41][42]
これにより、義龍は道三の首実検をしてから自分の行ないを悔やみ、罪障消滅のために「范可」と名乗ったとする太田牛一の説明は誤りであって、道三と戦う決意をした時には「范可」を名乗っていたことが証明されている
ー 出展 ウィキペディア

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